[ エッセイ ]
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本当は、三千年もない歴史を越えて、強くなるために 《その6》

さて、武術を実践していくうえでの資質ということに目を向けてみましょう。まず、武術はアスリートでなくてもできることに特長があります。つまり、運動神経とかスポーツの出来不出来はとりあえず関係ありません。伝統武術は成績を求める競技でないがゆえに、実践したい人を基本的には撰びません。体格や体力についても同様です。ある意味では門戸が広いというか、条件に制約されることがそれほどありません。商売として、あらゆる人をお客さんとしてみている可能性もありますが、それは置いときましょう。

通常のエクササイズや運動では、資質を溶かしてしまう老いという条件を無視できません。若い時期でないと始められない競技は多いですし、どんなに体力的に優れていても、20歳を超えれば徐々に衰えていく肉体とつき合っていかなければなりません。この文章を見ている人のほとんどは該当すると思いますが、体力などの資質は下降トレンドをたどっています。一方で伝統武術では、加齢が条件となることはありません。

そのような意味で、どのような人であっても、武術の世界に飛び込むことは、当然ながら歓迎されるべきことです。この文章に目を通している人の中に、もしも伝統武術をやってみようと考えている吾人がいらっしゃれば、即座にトライすることをお勧めします。いろいろと迷ってしまう事もあるかもしれません。不安になってしまう要素も抱えているかもしれません。ある意味で、皆さんの引っ込み思案を叩くことがここでの意図です。

1つのケースですが、「身体が硬い」という感覚はそうとう多くの人が持っています。実際に柔軟体操をやってみても惨憺たる結果になったことを痛いほど承知している我が身、という方も少なくないでしょう。小学校のころ、クラスに1人くらいは天性の柔軟性を持った男の子がいて羨望のまなざしで見ていた記憶もあったりします。中国武術の基本功の第一には柔軟がくるケースもあり、この齢になっては上がらない足や曲がらない腰などがどうしても、二の足を踏ませることもあるかもしれません。いまさらやらされたところできないよ、とおじさん世代は及び腰になるやもしれません。一種のトラウマというかコンプレックスになっている人もいるかもしれません。

まず、心意ということで限定しますと、柔軟体操のような柔らかさは必要ありません。足を高く上げるとか、前屈ができるとかの要求はありませんし、股割りもありません。できないよりできたほうがいい、くらいの話はしますが。練功ではたしかに、「リラックスしろ」とか「力を抜け」とか「力むな」とか、ずーっと言われつづけられます。しかし、それらは動きの質に関わるトピックであって、柔軟体操の出来不出来は関係ありません。一般的な柔軟は、関節の可動性/可動範囲と筋肉などの弛緩のどちらを指すかはっきりしません。両者が混同してしまうと、いや~なイメージが膨らんでしまうのです。

やや細かくいえば確かに心意の動作でも関節の可動域について要求することはあります。股関節や膝、首などが対象になりますが、これも戦術や威力に必要な要領としてのことです。それらは、技法の修練によって培われるべきものです。つまり、各部の柔軟をやったところであまり関係がないのです。逆のケースですが、めちゃくちゃ身体が柔らかい人が心意を練習しても上達とはまったく関係ない場合もありました。例えば、心意にも蹴り技はあります。腰より高く上げることはありませんが、人によってはできないこともあります。その場合はどうするのか? 無理なことはやりません。まさに、できないよりはできたほうがいい、という程度です。心意倶楽部では、蹴り足があがらなければ、心意の本質が会得できないとか不完全ということにはなりません。

動きの質、ということでは空手出身の人が苦労するなどといわれます。これは打撃の癖というか、力の出し方が異なるために混同してしまって、空手の打ち方が出てしまうことがあります。これは残念ながら意識して直していくしかありません。それが練習だと腹をくくることです。もう1つは、力が抜けないというかガチガチで困ってしまうというタイプの人もいます。こちらは気にする必要はありません。向き不向きでいけば、確かに前途多難に感じるかもしれませんが、相対的な評価(誰かと比べる)は何の意味もありません。うまい奴は先に行かせておけばいいだけの話です。あきらめなければ追いつきます。

心意倶楽部では武器術を重視します。その効果といえるのかもしれませんが、徒手拳法ではなかなか上達がはっきりしなくて、武器の操法では意外とうまくいく人もいます。心意は元々、武器から興った流儀ですから、大きなスパンでのカリキュラムでは矛盾しません。特に壮年期から始める場合は武術的にいいかもしれません。いまさら、動きの質をどうのこうのとはできない/しにくい、と思っていても、道具の操作であれば取り組みやすい部分もあります。

さて、ここまでの展開は、実はまだ本論ではありません。「身体が柔らかくなくても」という事例をすこし掘り下げてほぐしましたが、実はあれこれと分析したり解決策を講じる前段階が重要なのです。武術に関して、と前置きしておきますが、自身が持っている引け目全般(年齢/性別/周囲の環境/体格/性格/社会的地位/過去の失敗etc..)から逃げないことです。また、自身を否定したり忌み嫌ったり恨んだりしないことです。これを「自己受容」といったりします。ありのままの、感じているとおりの自分を「私は自分の○○に引け目に感じている」「××ができない俺はダメだと、いままで思ってた」などと、いったん認めて引き受けてしまいましょう。もちろん、それをわざわざ周囲にカミングアウトする必要はありません。自分の心の中で引き受けた上で、実践していけばいいのです。肝心なのは、そう感じたり思ったりする自分を自分で責めたり卑下しないことです。武術実践の本質は、いまここにある自分が、いまここにある自分から出発して、いまここにある自分より進歩/上達していくことです。それ以外にありえません。

「今の自分は本当の自分ではない」「○○が原因で自分の思ったようにいかない」「私は××が劣っているのでだめ」的な考えでとどまっていては何もいい方向には変化しません。肝要なのはそういう自分をどうするか/どうしたいのか、にあるのですから。人間は、自らの決断や選択において成果を得ることができます。逆にいえば、なんらかを獲得するために自ら決断や選択をすることができる、ということです。これが人間が持つ最高の自由である、とする考え方もあります。

# xinyi-club : 2006年2月25日