[ エッセイ ]
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心意の保守性

保守性ということでは、心意は群を抜いているのは間違いではなかったと思います。戴式心意拳が初めてメディアに登場したのは、福昌堂発行の「季刊 武術」1993年夏号でした。このときの取材は、難儀を極めたものであったようです。

今からちょうど8年前だ。現取材班が旧取材班である本誌前編集長の生島裕氏にこの当時の様子を聞くと「なにしろ閉鎖的で秘密主義というか、頑固というか、困ったよ」とのことであった。この当時の取材の報告は本誌93年夏号に詳しいが、「心意拳を見せてほしい」との旧取材班の要求に対して、同門の師兄弟たちが集まり数時間も会議を行い、あげくにはビデオはおろか写真も枚数制限付きでやっと見学が許されたということであった。あれから8年、現取材班としては、同じ轍を踏むまいと根回しに奔走したのであった。今度こそ戴氏心意拳の秘密のベールを剥ぎ取るべく………。(省略)あせって入り口を間違えては一生を無駄にしかねない。取材班は慎重に接近を図った。
(「季刊 武術」2001年冬号掲載記事)

1992年11月に初めて編集部が山西省を訪れた際には、日本側から松田氏、中国側から黄氏という著名な研究家を伴って行きました。その場にいたわけではないので、断言できませんが、逆に警戒されてしまったのかもしれません。なにしろ、心意を練習している人々は純朴で、なかなか事情に通じるとも思えません。外国から有名な先生がいらっしゃった、と取り巻きの中国人から言われ続ければ、歓迎はしたいが心意を盗られてはたまらない、と考えたのかもしれません。

本文にもあるように、慎重に接近を図るのは心がけとしてはいいと思います。相手の立場や面子を考えて、ある意味でいい気分になってもらうことが大切です。ホスト役である私が言うのも変ですが、幸い2001年冬号の取材では“心がけ”が良かったからか、掲載誌を読んでいただいた方は分かるように、大きな収穫があったようです。

前出の記事では、「戴氏心意拳はなぜ秘密なのか?」と題して、さらに踏み込んで戴式心意が保守的になる理由について推理しています。

なぜこのように戴氏心意拳は秘密主義、保守的であるのか? 理由は次の二つが考えられる。
1 威力が大きく、殺傷力が高い。 2 その方法がシンプルで簡単。
(省略)
発すれば必ず勝ち、百戦百勝の技が実際に具体的に存在するからこその秘密閉鎖主義であると考えれば、秘密にしたくなる気持ちもわかろうというものだ。
(「季刊 武術」2001年冬号掲載記事)

“百戦百勝の技”といった表現などは商業誌ベースのあおり文句の決め言葉で、言われている方が苦笑してしまうところでもあります。ただ保守性が高いから“正統”だとはもちろん言えませんが、正統といわれる流れでは保守性の高いところが多く、それが目に付くのも事実です。そして正統と言われる流れでは、心意に限らずどの門派でも質が高いはずです。正統とは、幻想であるという論もありますが、残念ながらそうではありません。戴式心意を教えていることろであればどれも同じ、ではないと思います。技法や套路を情報として伝達することが教授であるのはその通りですが、それでは交流程度のものです。そういう次元では正統もなにも関係ないでしょうが、しっかりした教授と共に必要な何かがあるかどうかがその是非を決めます。“何か”は別にもったいぶる必要もありませんが、また頁を改めて述べてみたいと思います。

# xinyi-club : 2005年4月18日