| [ 概論・総論 ] |
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戴式心意拳とは、山西省祁県を中心に伝承されている心意拳を指します。「心意拳」とは心意六合拳もしくは六合心意拳の略称です。河南では六合が後に付き、山西では心意が後に付きます。伝承によって順序が異なります。戴龍邦を初代として代々戴一族に伝えられてきたことから、戴式心意拳といいます。
通説では心意の系譜は歴史的にも永く、範囲も広く分布しています。河南少林寺の心意把にはじまり、河南回族の心意六合(陸合)拳、山西の六合心意拳。これらは心意の文字をあてます。心意を学んだ李洛能以降、形意拳と改称する流派も現れ、山西・河北に広まりました。さらに北京では王向斎が意拳(大成拳)を編み出しました。それぞれの系統で多くの名人を輩出し、武術史にその名が轟いています。
そのなかで、戴式心意は独特の流れをたどってきました。戴式の名を冠するにふさわしく、一族にのみしか伝えられることがありませんでした。武術の伝承はその機密性と純粋性によって決まる部分があります。回族の武術や少林寺などもそうですが、外部との遮断されつつ切磋されることは歴史が証明している武術の姿です。保守的にならざるをえなかったともいえます。
戴一族は当時の「晋商」と呼ばれる、今でいうベンチャー企業的な豪商で、非常に経済的に恵まれた環境にありました。それは武術にとってはきわめて特殊な状況であったといえます。文化的にも学術的にも高いレベルで検討や研究がおこなわれたと推察されます。しかも王朝権力や宗教の影響下ではなく、民間の一族で、という非常に希有なケースだといえます。技術の編成も相伝も難しくなかったはずです。
中国は欧米列強の蹂躙と王朝政治の衰退とともに、全土レベルで騒然となっていきます。戴一族も例外ではなく、ついには心意の家柄も潰えてしまいます。戴一族では最後の伝人であった戴魁が外伝させ、かろうじてその技を世に残すこととなりました。中華人民共和国成立を経て文化大革命の波乱も乗り越え、伝統武術の一派として現在に至っています。
煽り文句として「最後の秘密武術」であることが強調されていましたが、ここ十年でその誉れも実態とはいえません。中国各地はもとより香港や台湾、日本のアジア各国はもとより、欧米でも練習されています。確かにそれまでは非常に保守的に伝えられていました。日本メディアはいうまでもなく、中国の武術研究家にさえ厳しく、数枚の写真が貴重に扱われてきました。
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