| [ エッセイ ] |
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「スクールウォーズ」とは、懐かしい響きであるかもしれません。世代によってはまったく知らないでしょうから、調べてみてください。なんとなく宇宙を舞台に金銀のロボットや呼吸器を付けた黒ずくめの背の高いおっさんが出てきそうですが、そんな感じのお話ではありません。学園ドラマなんです………。学校での戦争はその時代の事件でいろいろと違った印象を持たせるでしょう。子どもや教師が命を落とす昨今、熱血ドラマとはかけ離れたサバイヴァルが今も繰り広げられているのです。いじめによる自殺も後を絶たず、しかもちょっと前には履修科目についてのことで、校長が命を絶つ事態になったりして、違った様相を呈しています。大人も子どもも関係なく、自ら命を投げ出す行為に対して「なにも死ぬことはない」と誰もが思うでしょう。しかし、当事者はまさに「必死」なのです。さらに最近(06~07の年末年始)あたりは「ファミリーウォーズ」がトレンドのようです。さて、昨今の刃傷沙汰に対するコメントとして「もし、武術の心得があればやすやすとやられることはなかったかも」といった意味の言葉をいただいたのを思い出したので記しておきます。
などと、いつものように話を展開させようとしているのですが、心意倶楽部では「護身」というものにはどうしても億劫になってしまうのです。武術を実践する究極の目的は生存の獲得、つまり生命の危機を脱することです。それは護身ということで括ってしまっていいのですが、世で謂う護身術とはイコールとはいいにくいのです。考え過ぎかもしれませんが、お手軽というか安直というか、人をバカにしているとしか思えない術らしきものが跋扈しています。一般向けに開かれた雰囲気を醸したいのも仕方ないのでしょう、テレビのローカルニュースなどにも紹介されています。果たして、指導している方々にも、本当に役に立つと思ってやってんかよ! と訊きたくなります。警棒や拳銃で武装できる職業についていない人が、体格や運動能力が劣る人が、果たして習得してどうなのか、といった不安が頭をよぎります。それは武術と同種の問題をはらんでいます。動作の形式が打開策となりえる勘違い/錯覚が起きやすいということです。《その10》で触れましたが、戦略や戦術のない技術だけでは危険極まりないのです。
武器に関しても、お手軽感が漂う風潮があります。競技やレクレーション向けのものは問題にはなりません。実際の危機管理に武器として用いる護身用具が、あたかもスマートにクールにお子様でも安心安全、のような感じで備えられているようです。最近、警察官でさえ、さすまたなるモノを使いこなせなかった事件が発生しました。事件の顛末は報道で確認ください。護身お手軽の象徴ともいうべき、さすまた「のような」モノが学校などに贈呈されたなどというニュースは何年も前から散見されましたが、実際には捕り物のプロでも使いにくかったのかもしれません。何人もの警察官が傷つき、取り押さえられた男も死亡するという、結果的には後味の悪そうな感じです。単純に道具のせいにはできないかもしれませんが、その危うさは今に始まったことではありません。事件が起きた時点となっては後だしジャンケンみたいで恐縮ですが、武器術という観点から見れば、どうも腑に落ちない代物です。ちなみに本来の「さすまた」は江戸時代、火消しや町方の捕り物で使われた道具です。袖がらみとは別物です。現存する当時のさすまたを観察すると、かなりの重量と大きさがあります。お手軽に使える感はありません。U字型の部分は鉄でクワガタのように尖っています。柄は木製でかなり長くなっています。形状、長さや重さ、材料などは相応の理由があって、そういう仕様になっているはずです。その理由に着目し有効性を最大限に活用できなければ、どんな技術や科学力を使っても、似て非なるものにしかなりえません。PL法とのからみはあるのかないのか定かではありませんが、今後の事例によっては、メーカーは相当に配慮しなければなりません。各社のサイトにはいろいろなキャッチコピーが踊っていますが、果たしてどうでしょうか。「威圧感がないのが特長」とか「同時に催涙スプレーを併用してください」とか、開発担当者および責任者に訊きたいことが満載です。
再確認めいたことですが、世に求められる「護身」とは武術の大いなる目的であり、心意拳を学ぶにしてもそれはまったく同じです。急に弱気になったように映るかもしれませんが、心意倶楽部内部では常々そのような話をしています。本来は伏すべきことであり、別項で述べるべきことかもしれませんが、一部をここで公開しましょう。「実戦」という字面が心地いい時代は過ぎつつありますが、仮想であっても目標は具体的に設定したほうがいいと思います。それが自身のとっての武術の実践におけるモチベーション高揚や動機付けになるからです。迷ったときの道しるべにもなります。倶楽部内では、「刃物」に対抗できることを目指しましょう、となります。が、これではまだ抽象的ですから、もう少し具体的に。
『ナイフ/包丁を持った1人の相手を、棍または木製小太刀を用いて制圧し、危害を被らない状況にする』
いかがでしょうか。武術の使い手を目指す有志としては、低いハードルでしょうか。また、すでに武術の実践に身を置いておられる諸兄にとっては難易度の高いミッションですか。逆に、もの足らなさを感じるかもしれません。しかし、短いチャッチフレーズには、その境地に至るまでのカリキュラムや修得を要する「武術の本質」が織り込まれています。防衛術は結果オーライですが、事象として「できたできた」がそのまま武術実践の評価になるとも限ない、ということです。さらに、上に掲げた目標は次なるステップや展開が用意されていることも触れておきます。詳細に関しては心意倶楽部にお尋ねください。技術として具体的なことは実地でなければ話になりませんので、ここではご容赦ください。その代わりといってはなんですが、護身術を修得するプロセスに類する話を少々述べておきます。これは各位の流派や門派にも応用ができると思いますので。
護身術の第一段階は上の例で言えば、刃物に対抗する技術を学ぶことではありません。日本武術での「短刀取り」「無刀取り」、中国武術での「徒手奪刀」といった非常に高等な技法を修得するにあたっても同じになります。「相手がナイフで突いてきたら~」の前に、必ず踏まなければならない段階があります。それは相手を身体で知ることです。言い換えれば、いかに自分がナイフを使いこなせるか、ということです。「敵を知り、己を知る」とは兵法の基本です。そのプロセスをないがしろにしては対抗できるわけがありません。特に武器/凶器が相手にある場合はなおさらです。その武器の長所と短所、恐れるべき点とつけ込むウイークポイントをできる限り把握し、有効な操作法を修得しておくことが護身の基本なのです。まさに「蛇の道はヘビ」ということです。やみくもに刃物や銃を恐れる必要がないことも修得と同時に育まれてきます。相手の立場に立つことは武術においても重要な秘訣ということです。
危機管理という観点から申し上げますと、報道等で見聞するところ、犯罪で多く用いられるのは包丁/果物ナイフの類いとなります。これらに対抗する、まではいかなくても、調理を日常的にされている人であれば、その特徴は熟知しているはずです。ただし、無意識レベルというましょうか、意外と気がついてなくて、緊急時にはまったく生かされないのかもしれません。後ろから不意打ちを食らうとか、寝込みを襲われるとかでなければ、反撃の機会なくやられるのを待つことはありません。具体的には、斬りつけで致命にはならないこと、刺しには距離を取り万全の対応で臨むこと、特に壁際や倒されてからの攻撃に持ち込まれないこと、衣服や靴で十分に対処できること、などが挙げられます。やや雑多な表記で恐縮ですが、安易に活用すると危険が伴うことですから、あいまいにしておきます。心意倶楽部での、日常の練習ではトピックやテーマとして取り上げることがままあります。ご興味があります方は、一度アクセスください。なにかのお役に立つかもしれません。
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