| [ エッセイ ] |
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すでに《その9》で完結した気分になっておりました。まとめれば、武術において、平時日常の実践と危機管理といえる実戦が重なるのは自分の死に対する挑戦、生を勝ち取る、と覚悟を決めることにあります。やや意味不明かもしれませんが、詳しくは心意倶楽部にアクセスいただくしかありません。ここでは視点を変えましょう。武術が社会との接点を見いだすためにも。昨今の報道で知り得るように、最先端のハイテクも、巨万の企業利益も、癒しもまったく役に立たない、つらい厳しい事件が続いています。利害や感情のほうが命より優先されることはありません。身を守るということが一種のトレンドになるかもしれません。経済的にも、治安にしても、モラルにしても、この地上は我々を安住/安定/安心させてくれる場ではなくなっています。
生を受け、命を宿し育て死んでいくプロセスの中で、自分だけが生き延びればいいとはなりません。たとえば夫である、母親である、社会的に大人である、指導者である、リーダーであるということは自己の生存や安全よりも優先するべき命があるということです。武術を実践している人は自己防衛や自己生存を超える能力を備える必要があると思います。我々は超人的な実力を備えていないことを認識してください。そのうえで、具体的な防衛術や護身というテクニック/戦法ではなく、対象へのアプローチ/戦術だけでもなく、スタンス/戦略も問われるということです。方針やモットー、心がけといってもいいでしょう。ここまでくれば狭義での武術ではなくなってしまうような気もしますが。実はこれらの階層性を持つことが武術の真骨頂なのです。
以前にあった話で、とある柔術を習っていた人が繁華街で呑み会に参加しました。その帰りに事が起きたのです。路上を歩いていると、後ろから突然襟首をつかまれ引き倒され、一瞬にしてマウントポジションを取られて顔面に激しい殴打を食らってしまったのです。わけも分からず、必死に抵抗しようとしても体勢が悪すぎで、対処ができません。そうとうやられたのですが、偶然にも相手の拳が自分の口に触れたので、指に噛みつきました。さすがにそういう反撃を受けるとは相手も思っていなかったのか、その場から走り去ってしまいました。警察に通報し、病院で治療も受けました。現時点で犯人は検挙されていません。
限られた断片的な情報ですが、どのように思われたでしょうか。また、どう分析して評価するべきなのでしょう。対策は? 自分がその立場ならどうするか………
結果的には完全に犯罪に巻き込まれたわけで、法廷で争っても民事刑事共にこちらは被害者で、相手が責任を負って処分/ペナルティを受けることになるはずです。当局は捜査に乗り出し検挙を目指します。簡単にいえば殴った奴が悪い、やられたこちらは本当にかわいそう、ということです。テレビワイドショーでの事件は感情移入を煽りながら、こういうパターンでお茶の間に流れています。よもすれば、我々もそんな感じで受け取るかもしれません。しかし、これは完全な傍観者、評論家、他人の不幸を味わってる野次馬にすぎません。ちなみに、日本の警察が優秀であることは間違いありませんが、基本的に彼らは犯罪行為が発生した後でないと仕事ができません。警備員/ボディガードではありませんから、被害者の救済や保護がメインではないことをくれぐれも肝に銘じておく必要があります。彼らは独自の行動様式、捜査指揮系統で動く取り締まりのプロです。結果論で着目したいのは、殺されなかったことが救いだったということです。痛い目には遭っただろうが、めちゃくちゃ腹も立っただろうし、くやしかっただろう、しかし。よくぞ、とっさに噛み付いて危機を乗り切った! ということです。格好悪くても、格闘技なら完全に反則だとしても、関係ありません。相手を殴り返せなかったのは残念、かもしれませんが、それは感情レベルのことですから、悔しいですが関係ありません。その悔しさをバネに自己鍛錬に励めばいいのです。
三つの段階で考察してみましょう。まず一つ目は戦法というか、技術的な次元です。被害に遭ったときに酔っていたのか、どれくらい呑んでいたのか定かではありません。しかし、後ろからいきなり襟首をつかまれ一気に地面に倒されるのは非常に厳しいシチュエーションです。とっさに対応するのは容易ではありません。用法の説明やレクチャーのように「では、後ろから襟をつかんでください」と指示してやってもらうのとは全く違います。逆にいえば、非常に有効な攻撃である、ということです。簡単に対処できませんが、倒されることに抵抗するのではなく、歩法を利かせることでかわせる可能性があります。
二つめに戦術レベルです。「問答無用で死角から近づき、一気に引き倒して後頭部を地面に叩き付け、馬乗りになって両腕を動けなくして、こいつの腹部でバウンドしながら、顔面に連打を打ち込む」といったように、加害者は犯行を決してから、後方から虎視眈々と狙いをつけて戦術を練っていたはずです。発想としては格闘技です。周りに目撃者がいないことが条件になります。また、1対1でないと有効ではありません。いわゆる総合格闘技は、何でもありでは決してありませんし、実戦ではあまり有効ともいえません。スポーツ競技では華々しいのは間違いありませんが、勝敗を考えず武術的に対処するのであれば、怖いかもしれませんが、対応が不可能ではありません。
三つ目の戦略とは言い換えれば、目的/大義名分ということになります。個人間の口喧嘩/国家間の宣戦布告のように前段階でのコミュニケーションを取らずに、単にダメージを与えようとするのは、卑劣なテロとしか言いようがありません。もし、加害者が検挙され司法の場で裁かれれば、悪質かつ非道で社会的影響も………判決文が想像できそうな気もします。しかし、そういう戦略はどのように生み出されたと考えられるのでしょうか。簡単にいえば、こうなってしまった原因は何か、ということにつながるわけです。裁判/司法では、原因を含めて、どっちが悪いかを問うのが基本です。我々の中でも「むこうの責任」「正義はどっちだ」という概念が存在していると思います。その上で、悪い方が処罰/非難されます。これもすでに終わってしまった行為の結果に対しての処置なのです。つまり、危機管理ではそんなことはどうでもいいのです。関係ありません。善良な小市民であっても、被害を受けないようにするため、危機にさらされないようにするため、問題となりうる原因を探る必要があるのです。結論としては身もふたもない、としか言いようのない、面白くないことが導き出されますが………。
加害者はここにはいませんので、インタビューできませんから、想像するしかありません。ことの発端と思われるのは、呑み会での振る舞いです。まあ、えらく盛り上がって楽しかったことでしょう。周りにとってはどうだったかは別として。馬鹿騒ぎはかなり諍いの原因になります。店の配慮もなかったのかもしれません。とにかく、騒がしい店内では、まずい酒を飲まざるを得ないストレスがたまり、人を危険にすることは容易に想像できます。金を払って酒を飲みに来て他人に配慮せよ、では面白くないかもしれませんが、あえて敵を作る必要はありません。さらにいえば、繁華街では平和主義者ばかりが盃を酌み交わしているとは限りません。極端かもしれませんが、映画「スターウォーズ」の酒場と基本的には同じです。気が大きくなってるのは自分だけではありません。格闘技や武術をやっていて、感情にまかせてきっかけさえあれば、誰かを叩きたくなるバカがいるかもしれません。
街に呑みにいくな、とは好き者にはつらいことかもしれませんが、なるべくならそうしてください、という結論です。散財しなくてすむし、危険もないし、ねえちゃんにムラムラすることもないし、と景気回復に水を差すようですが。あと、単独行動はできるならしないように。これはプロ? の世界でもいわれることです。それだけで危険を回避できる確率がかなり高くなります。お侍さんの武士道の基本は無用の争いを避けること、言い換えれば敵をできるだけ作らないことです。出る杭は打たれる、とは自己主張ややりたいことをやっていく肯定的な意味で取られる昨今ではありますが、本来はネガティブな感覚であったはずです。身の安全を守るという観点からすれば、出る杭であってはなりません。ホラー映画で、化け物に最初に殺されるのは、馬鹿騒ぎしたり他人に大迷惑をかけている連中です。しかも同情されないでしょ、やられて当然と思われますし。
ちょっと違う話ですが、絶対にケンカで使ってはならない表現というか、禁句があります。筋者とか渡世人/博徒などとは最近使わない表現ですが、その道のプロということです。彼らとの関係をほのめかすことは命を落とすことになります。ガキのケンカであっても、素人どうしの争いであっても、痴話げんかでも、決して良い子は真似しないでください。「オレの、私のバックには○○の………」とかいう類いの台詞です。嘘ならば、なおさらだめです。それは「僕を殺してください」とお願いしているのと同じです。最近もほんとに殺された人がありました。しかも、漫画のような非常にばかばかしい残忍な手口でです。詳細はご自分でお調べください。強いものに憧れるのは悪いことではありませんが、依存とか虎の威を借るとかは、ロクなことになりません。ケンカの作法? といいますか、加減や塩梅を知らず、とんでもないことになることは多くはないかもしれませんが、けっして少なくありません。ローカルの報道にも出なかったのですが、高校生どうしの私闘で片方が死んでしまったことがあります。ささいなことから重大な結果を招いてしまったのですが、やられたほうは格闘技を複数やっていたそうです。どうしてでしょうか。特に青少年に釘を刺しておきますが、危機からの回避には、憧れの強さは実は役に立たないし、相手に振りかざしても意味がなかったりしますので、ご注意ください。それどころか、逆に危険度が増すことさえありえます。窮鼠猫を噛むとはまさにこれらのとおりです。
たくさんのトピックを詰め込みすぎたかもしれません。が、まだ話は半分です。もう少し、つづけます。武術が危機管理や護身に有効に働くとは最も重要だからです。実は非常に危うい要素を孕んでいます。世には「護身」と称するものはたくさんあり、出版物や報道で登場します。よもすれば「お手軽」とか「簡単」であるような勘違いをしてないでしょうか。また、えらく的外れではないかと心配してしまう方法が紹介されたりしています。
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