[ エッセイ ]
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本当は、三千年もない歴史を越えて、強くなるために 《その5》

いよいよ、精神世界へようこそ! とあいなります。が、武術によくつながっている「あちら側」「お花畑」の話にはなりません。武術では再現性を重視しなければなりません。ここでは摩訶不思議で特殊な事例を取り上げませんので、お好きな方はがっかりしてください。枠がえらく広大なので、ぼつぼつとランダムな視点で見ていくような感じでやっていきます。あまり体系立てられないと思います。身体運動ではない部分といっても、戦略、戦術などの技術的なソフトと併せて精神論、道徳、倫理観、哲学、戦闘理論、人間観、武術観、心理など多岐に渡り、しかも複雑に絡み合っているからです。戦術などの各論はとりあえず、ここでは扱いません。

中国には武道という名称は基本的にはありません。日本では「道」の名の下(もと)に精神的な次元での向上をセットにしている、という理解が一般的といえるのではないでしょうか。「柔」「剣」「合気」「空手」「銃剣」「居合」などの例があります。しかし、外野からの勝手な感想を言わせていただくと、実態としては精神的な人間形成がセットになっているとは、あまり思えません。結果的には成長できるかもよ、くらい曖昧な教えと考えてしまいます。若年層への普及やスポーツとしての箔をつけるために、名称に「道」をつけて名乗っているだけでは、と思ってしまうのはわたしだけ? でしょうか。最も高度に実践しているであろう、大学の体育会系にはあまり「道」といった匂いはあまりなかったようにも思います。もちろん、武術の修得において精神的に成長がある、という立場ではありますので、武道がだめとか否定しているということではありませんので、お間違いのないように。

あまり馴染まない解釈なのかもしれませんが、「道」と名づくは精神的な修練をするという意味ではなく、実践する時間軸を指しているように思います。言い換えれば、ライフワークを標榜しているがゆえに「道」を名乗るのではないでしょうか。成績や実力を絶対的な評価でみれば、一部のトップアスリートを除けば、体力が盛んなときに競技者として光り輝き、卒業と同時に引退する、と。そんな感じの対極にあるのが、まさに「道」ではないでしょうか。永い時間をかけて関わっていき、主体的に面白さやすばらしさを体感すること、逆に困難や苦痛に遭遇して克服すること、発展的な他者との関わりなども入ってくるように思います。まさに武術に対する「生き様」が武道といえるのではないでしょうか。実践者それぞれの人生が武道であるということです。以前、ブラジリアン柔術をやっている方から聞いたことがあります。「実は女性がけっこう多いんですよ。あと、年齢層もそう低いわけでもありません」といった趣旨の発言だったと記憶しています。グレーシー一族のイメージが強いため、意外だなあと思ったのですが、出てきた理由がこれまた意外です。「学生のころ、柔道をやっていたけど、卒業したらやるところがないので、来られる女性も多いのです。その受け皿的な意義があるのではないでしょうか」とのことです。道を極めたい者の心意気が軽やかに伝わってくるようです。精神論的な成長は、誰が言わなくても自ら身に付いてくるように思います。聞かせれる観念的なご高説が何にもならないことは、大人たちもそろそろ気がつかなければなりませんが。

中国では武術という名称のみが用いられていて「道」というニュアンスはありません。とはいえ、口伝や拳譜には多くの教えがあります。心意倶楽部においてもしばしば出てくると思います。上で述べた時間に関わることも少なくありません。中国伝統武術は心意に限らず時間との闘いです。といっても一刻を争うということではなく、じっくりとじっくりと向かい合わなかればならないという、いわば逆の意味での時間との闘いです。現代の日本人はどうしても能率や経済性が重んじられるというか、修得にしても短期決戦がお好きな傾向があるように思います。生きる社会や受ける教育に左右されてしまうのかもしれません。心意に関しては、残念ながら相当に長いおつきあいになる要素をはらんでいます。DVDなどで動画を見られた方はどのように思われたでしょうか。比較的単調な動きに映ったかもしれません。しかし、実践となると一筋縄ではいきません。練習者はそのことを痛感しています。「難しい」という思いは、短時間では自在にならない、ということでもあります。

ここでのまとめとして、いくつかのことを。1つには時間に対する自分なりの感覚を持つことを指摘しておきます。たとえば、機会とはチャンスのことですが、タイミングや状況ということでは自身の時間に対する意識が決定にモノをいうでしょう。2つ目には、武術を本格的に修めるには、生死観や覚悟といったお硬いことも逃げずに突き詰めなければなりません。その前段階として、実践武術は生活の中にある、と同時に、限られた時間との闘いであるとの認識が不可欠です。一生の中の、1年の中の、1日における、自身の命の使い方です。「カンフー」とは功夫と書きますが、工夫と同じ発音で本来は不可分だったと考えられます。3つ目としては、危機(正確にはピンチ&チャンス)では、瞬間の判断が求められます。経験や勘、見込みや賭けも含めて、相手よりも先んじることは必勝の理論です。やや勝手な推測ですが、何かに飛び抜けている人は独特の時間に対する思考や感覚を持っているような気がします。

# xinyi : Jan 30, 2006