| [ エッセイ ] |
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今を去る20年も前の話なのですが、東京で「散打○○会」が開催されました。そのときに実際に見た競技の中で、今となっては非常に印象深い試合がありました。以下の描写に多少のずれがあるかもしれませんが、基本的にはフィクションではありません。
出場した選手の1人の、それはまさにタイガーマスクの主題歌にある「ルール無用の悪党」ともいえるような所業でした。両者が構えてから、「はじめ!」の掛け声と共に炸裂する金的蹴りです。いうまでもなく反則です。蹴られた選手もルールで定められたカップを着けてはいますが、その上からでも蹴りがダイレクトに当たればダメージはかなりのものです。蹴られた選手はうずくまり、立ち上がるまで時間がしばらくかかりました。偶然に当たることも当然ながら考えられます、しかし………。再開直後にも同じ現象が起こりました。つま先を繰り出す前蹴りが見事に股間をとらえたのです。初めての競技会で審判団も慣れていませんから、注意を与えるのですが、警告も減点もありません。しかも、2度あることは3度目もありました。観客は騒ぎだしますし、慣れない審判団は競技を続行させるという事態になりました。さらに、その攻撃は続きました。手技の応酬が続いたと思ったら相手がドッと倒れます。しかも、蹴った本人が相手に謝っています。謝るくらいなら最初からやらなきゃいいのに………という感じです。そして、その後にも金的蹴りが炸裂。まさに身体が勝手に動くのでしょうか。かなりの回数が急所にヒットしたと記憶しています。勝敗を競う大会ではないので、時間が過ぎて終了となりました。ワンマッチ制ですので、金蹴りの名手を見ることができたのはこの試合だけでした。なんとも後味が悪い、とんだバカ試合としてずっと記憶していたのですが。
しかし、貴重なシーンであったような気もします。多少の違いはあるにせよ、直接打撃ルールのスポーツ競技ではこの行為は不可能です。選手の安全や主催者の責任問題から考えれば、奨励できるはずがありません。まさに禁断の行為です。やられた方としてはたまったものではないでしょう。なんとも痛々しい例ですが、格闘技的な癖というか習慣の1つが顕われていると考えられます。それが悪いということではありません。競技ではルールに特化していけば、勝負に関係がなかったり、成績を上げるために必要ない部分は意識されなくなります。つまり、金的の攻撃や防御はまさに「想定外」です。我々が観戦するプロ競技でも同じです。画像などでも確認しやすいのですが、激しい叩き合いでもまったくノーガード状態です。ときどき言われることなのですが、実は格闘技の経験者でなくても見受けられる場合があります。我々のように中国武術を愛好しているにも関わらず、どこから引っぱってきたのか、無意識に影響を受けていることがあります。まさに「あるある」やで。
「構えがないのに、構えてる」「ハイ! ハイ! ハイハイハイ! あるある(以下略)!」
上記の大会では、主審が「はじめ!」の掛け声を出して試合が開始します。が、その前に「構えて!」と言われてしまうのです。もし、構えなかったら反則になるのでしょうか。もしくはどの門派にも構えに相当するものがあるとの前提に立っているのでしょうか。ここでは門派ごとの比較をするつもりはありませんが、格闘技的な構え/ガードを用いる門派は実はほとんど皆無に近いと思われます。練習や技の説明などでは使われることは少なくありませんので、混乱しやすい場合もあります。実は特筆に値するほど、武術を系統的に学ぶのであれば外せない重要な因子なのです。心意では「無極」と称していますが、一般的なガードのように手を前に差し出すような形は採りません。「出勢」の妙はそれぞれの門派の生命線です。ただし、他流のことに踏み込むことになると、誤解を招いたり、非難をさらに浴びたりと、問題が発生する可能性がありますので、これ以上はお許しください。さらに「あるある」やで。
「顔面打つとき、頬狙う」「ハイ! ハイ! ハイハイハイ! あるある(以下略)!」
「明日のジョー」のクロスカウンターのシーンに代表されるように、顔面パンチは相手のほっぺを叩く気になっているかもしれません。ケンカでは相手に過度のダメージを与えないという利点? と、自分のナックルが痛みにくいという意味もあります。実は相手にダメージを与えるよりポイントを得る方が重要な競技もあります。心意では具体的に狙うポイントはかなり緻密に絞られています。解剖学的に、直突きであればここ、落とす肩にはあそこ、みたいな感じです。点穴とはやや違ったニュアンスではあります。生理学的にもどこを狙うか、という基本はありますよね。もっとも分かりやすいのは相手の中心を狙う、というやつです。格闘技ではあまり意識しないのではないでしょうか。上に述べた金的の件もこのカテゴリーにも入るかもしれませんです。で、もう一丁「あるある」いくで。
「出来もせんのに殴り合う」「ハイ! ハイ! ハイハイハイ! あるある(以下略)!」
できない、と表現するのは失礼かもしれませんが、正面きっての格闘技的なラッシュ/足を止めての打ち合いや取っ組み合いは、ほとんどの中国武術にはないと思います。体力や体格の差がある場合を考えれば当然なのですが。もうすこし言えば、正統な武術は無呼吸運動オンリーではありません。感情の昇華や爆発であれば、勢いや若さにまかせてぶっ飛ばせ! で押し切れるかもしれませんね。それではすでに武術とはいいにくいのではないでしょうか。発勁で一撃ドカン! でぶっ飛ばすにしても、そう安易な技術構成はないはずです。
ここまでは、格闘技と武術がダブっている部分に突っ込んでみました。「強くなるため」とは直接関係がないかもしれません。しかし、武術の戦闘スタイルといいましょうか、本来は備わっていなければならない項目が伝授されないと、無意識に格闘技的なものが入り込んでしまうことがあるかもしれません。もしくはあいまいであったり、雑な戦闘スタイルに陥りかねません。上で述べた急所蹴りについても、格闘技では意味がないですが、武術としての戦闘スタイルから漏れることはありません。各自の好みは関係ありません。これらは、系統にかかわる問題でもあります。独習や形式だけの伝授では、どうしても獲得できないことがあります。
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