[ 『季刊 武術』掲載記事インデックス 1998年春号 ]
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心意の肖像 【王映海編】 (三)

複数に対する際には、歩法を用いて一箇所にとどまらずに移動しながら攻撃すること、接触点が少なく時間がかからない技法を撰ぶこと、スタミナを消耗しないこと、などが要点となる。王が主として用いるのは『七炮七膀』の技法である。

打撃では押され気味、組み合って動きを封じ込めてしまうのが得策と判断した3人が横並ぶように王に迫る。王は歩を進めず、迎える。

6本の腕が一斉に伸びてくる。間合いを見極った王は左にある男へすれ違うように追風炮を仕掛ける。

3人は一瞬動きが止まった。捕らえようとした手々の先に、王の姿はない。

2人は戸惑い、王の姿を捜す。そのとき、ゴリッと鈍い音がして王と交叉した1人が絶叫した。地面に顔を擦りつけるようにのたうちまわる。

合気武術の『入り身転換』と同じ原理での、追風炮からの変化である。低い姿勢から開合を用い、自分の肩を支点に敵の手首を固め肩を壊す。刹那に極まる危険な技である。

王の攻撃が続く。進退の妙、左右の転身と剛柔の変化が激しく、ストップモーションのように技が炸裂し、的は次々と地に伏す。

1人また1人と血気盛んな男たちが倒される光景に、大きくなった観衆の輪も静まりかえっている。王の立ち尽くす姿には見えなくとも誰もが感じる迫力がある。

ふたたび、凶気が静寂を破る。

「殺してやる」

血みどろの顔が雄叫びを上げ、王に走り寄る。鷹捉で倒された男が必死の形相でこぶしを振り上げている。

渾身の力を込め勢いが乗った突きに王の両手が軽くまとわりつく。両者がすれちがうように離れ、血みどろの男だけがバランスを崩し両足を空に投げ出し倒された。

人間は力を込めて打撃する際に動きが一瞬ではあるが停まってしまう。『化法』は、その機に乗じて力に対して力で応えず、柔らかくしなやかな体捌きで固め投げにて攻める。

心意の『剛』と『柔』の技法はそれぞれ別物ではなく、ひとつの技法を状況によって剛柔を変化して用いられる。心意での「剛柔合兼ねる」とは単純にして巧妙である。稽古で柔らかくゆっくりとした練功をおこなうのは実際の攻防にまで必要となる要領である。自らを力ませないように技を操れなければならない。発力の際も力んではならない。

多勢をかさに血気の盛んをまき散らすも、武術に長けた者に向けては大きな負を被ることになりかねない。地に這う者、うめく者、血を流している者。無傷の者は倒れた者に寄り添うようにして、王に立ち向かわないことを表現している。

周囲の取り巻きは、気がつけば幾重にもなっていた。事の顛末が老人の圧倒的な勝利に終わり、あれこれと事態の批評に余念がない。王に対しても声をかけるが、王が応えないために憶測と想像が飛び交っている。戴家伝の心意であることに気づいた者がいたかは定かではない。

「祁県にものすごい武術が伝わってると聞くが、あんたもその1人だろう」

そんな問いかけにも、正式な伝人であるがゆえに応えられない。

王と仲間たちは荷物をまとめてその場を去り、祁県を目指す。初老が王に語る。

「仕返しがあるんじゃないか」

「恐れることはない。やましいこころの奴等がどうだというのか。ただ―」

「ただ?」

「こんなことでは商売にならないな」

車を牽く足どりはやや緊張して、案外に早く村に戻ることになったようである。そのころには陽が熱気を吐き出す光を放っていた。

王はのちに謂う。結果的にうまくいったことで、技量の善し悪しを判断してはならない。ただし、勝たなければならないときに勝てる望みを持って挑めることが唯一、武術を練る意義であると。

# xinyi : Dec 16, 2005