| [ 『季刊 武術』掲載記事インデックス 1998年春号 ] |
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1980年代の夏、山西省楡次市が舞台である。
王映海は、祁県よりリアカーにスイカを満載して村の仲間4人とともに数十キロ離れた楡次にまで行商に出た。すでに少なからず弟子を擁していたが、心意を生活の糧にすることを是としない伝統を受け継いでのことである。
農家が直売する作物は評判もよく、幹線道路を行き来する人を相手に順調とまでいかなくともまずまずの売れ行きであった。目的地に近づいたときには闇のまっただ中である。仲間のあいだでは、一夜はこの辺りで過ごし、いくらかでも商売になればいいと話し合った。
よそ者であるがゆえに、地元の同業には遠慮せざるをえない。ただでさえ頼りない街灯が、辛うじて届くか届かないか、という場所での商いが始まった。幅が10メートルはある道の両側に向かい合うかたちで二手に分かれて陣取る。
地元集が山積みのスイカを一瞥しては声をかけてくる。
「あんたら、ここの者じゃないな。一斤いくらだい」
「安くしとくよ」
「いやあ、ここいらじゃもっと安いよ」
元来は商売人ではない、田舎の農民たちが慣れない商いをやっているのだから、ほほえましくもあぶなかしい。冷やかしをあしらうのもぎこちない。王も仲間たちの姿を見ながらそう思っていた。王自身も商売人に徹せないのだが。
夜も11時を過ぎて暑さもひき人通りはまばらであるが、気がつくと対面の仲間の前に多くの人が集まっている。
仲間の売り口上にも熱が入っている。自分も客を取らなければ、背を伸ばして声を出そうとしたとき、前方の様子が王の目付きをわずかに鋭くした。
「そんなことはどうでもいい。こんな商売をここでやられちゃ困るんだよ」
叫び声が闇に響く。
「いやいや、お兄さん、私らは祁県から来た農民で………」
相手の話を聴く耳など持たぬ風に別の声が間髪なく追う。
「だいたい、そんな田舎のもんが食えるのか。金まで取るのはさぞかし大した度胸だぜ」
ドッと笑いが起こった。
後ろ姿からすると若い男風体が20人といわず王の仲間を取り巻いているようだ。
男たちの身なりや体格、手にある荷物や癖を瞬時に見取りながら静かに接近する。
人垣の背後に5足ほどの間合いから横手にまわるように方向を変える。歩き方や歩幅は普通なのだが、視線は一点に軽く捉えたまま丹田に気を集める。一定の距離を保ちつつ仲間の後ろまで回り込み、止まらずに男たちの視界に入っていった。
男たちは王には目もくれず並べられたスイカを手にとる。
「せっかくだから、いただくか。ただし、甘くなければ、たいへんなことになっちまうがな」
「おい。これを切ってくれ。いや、こっちのだ」
言われるまま放り出されるスイカに刃が入る。ザクッザクッと低い音が響く。
食い散らかされたスイカの皮がつぎつぎと地面に捨てられる。なかには一かじりで吐き出し、別のスイカを指さし同じことをくりかえす者もいる。
あちらこちらで座り込んで笑い声をあげ、口元から赤い汁がしたたる男たちの姿は、ことのやりとりを遠目に行き交う人々にも異様な印象を与えていた。
王は男たちは気づかれないよう、元の位置に戻り、無言で男たちの背中の一挙一足を見ている。
仲間の1人は拳に力を入れ、うつむき加減である。ほかの仲間は男たちにスイカを差し出すこわばった笑いのうちに、時が過ぎ去るのを願った。
「おい、行こうぜ」
男の1人が叫んだ。手持ちぶたさになっている顔がいくつも上がる。
「待てよ、みやげにいくつかもらっていくからよ」
「まだ、食ってんだぞ」
口々に悪態をつきながら、徐々に男たちが立ち上げる。
「旦那方には知らぬこととはいえご無礼をはたらき、お詫び申し上げます。食べていただいたお代は結構です。どうぞ、お気をつけてお帰りを」
仲間の1人、王より十ほど若い初老が、安堵の念を最後の愛想として男たちに供した一言。
緊張が溶けはじめた、が―
「いったい、何のつもりだ。おい」
スイカの品定めをしていた男が険しい顔になって大声で詰め寄ってきた。
「おれたちが乞食かたかりとでも言いたいのか。つくづく失礼なやつらだ」
胸ぐらを掴み、力を入れて引き寄せる。初老が胸を反らすようになって浮き上がる。
「そ、そんな、とんでもない」
「とんでもないとは、こういうことだ」
引き寄せた腕を横に振り払い、初老を地面に転がした。砂を擦る音が聞こえ、遠巻きの人々からも声があがった。男は脇に転がしてあったスイカをうずくまって動かない初老に投げつける。
鈍い音がして、初老が悲鳴をあげた。
初老の肩口に当たって地面に落ちたスイカはざっくりと口を開け、血を流した。王の仲間たちは体を硬くして、一瞬立ち尽くす。男たちは初老を囲んで笑いと罵声を浴びせる。
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