| [ エッセイ ] |
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いままでの練習会などでの会話の一コマです。
Q.「一日にどのくらい練習すればいいんでしょうか?」
A.「分かりません。しなくていいんじゃないでしょうか」
Q.「何年くらい練習すればいいでしょうか?」
A.「分かりません」
Q.(技法の練習をしながら)「これでいいんでしょうか」
A.「お答えできません」
というようなやりとりが何度となくありました。愛想がないようですが、いい加減な返答は却って失礼だとの判断です。ノルマや義務といったものは心意にはありません、というか採用しません。心意倶楽部では時間割・カリキュラム的なものも存在していません。どのくらい練習すればいいような目安や数字はありません。
武術の修得ではどのようなプロセス/段階があるでしょうか。
1.教授(教えてもらう) 2.体現(上達を目指す) 3.伝承(教えてあげる)
第1段階としては、形式を倣う、套路の順番を憶える、技法の細かい点を直す、などでしょうか。仮に教えていただく側からオッケーが出ても、それらはいわば、上達のスタートラインに着くくらいのことです。といっても、1回で完了するとも限りません。情報の伝達と確認が完了する次元です。競馬でいえばパドックみたいなものです。そのことを各位は重々認識しなければなりません。下手をすれば、この時点で完了したような気分になります。特別に教えてもらった、秘伝の伝授であっても、基礎を教わるのと何の違いもありません。満足してしまうと、妥協と怠慢を誘発する可能性があります。些細な勘違いが武術の修得では決定的な差を分けるといっても過言ではありません。通常に言われる伝授はこの次元です。
第2段階としては、自分との対話が始まります。というより始めなければなりません。上の会話に関連してきますが、どの項目に関しても自己選択と自己決定をしたほうがいいと考えます。別の例ですが、心意倶楽部への参加を表明された人から「月に何回くらい来ればいいのでしょうか」という向きの質問をいただくことがあります。これも自分で決めていただくしかありません。社会的に自立した人であれば物理的な条件は制約があるでしょう。厳しくとも、限られた時間や予算でやっていくしかありません。各自のスタイルが作られる前段階です。
練拳とは自分との対話、と表現すればきれいですが、実際は地獄の苦しみさえ伴うはずです。まずは、妥協の誘惑が絶えずつきまといます。「これでいいと言われました」の免罪符をかざしても、実はその方向性でいいでしょう、という程度の評価が関の山です。「私はこれしかできません/これだけやります」と達観した考えの人もいますが、さらなる上達の放棄です。そういう自己解釈の人が、果たして上達するのかと心配してしまいます。ただし、ご自分の判断や決定を否定することはありませんので、それが悪いとかどうとかではありません。
さらに、妥協を排して黙々と努力をしても思うようにうまくいかないともどかしくなるのが、まさに人情です。鉄の棒を研いで針にする、ような気の遠くなる次元です。暗闇の大海を小舟で漂っているような、なんとも手応えが感じにくいことも感じるかもしれません。「むずかしい」という言葉を何回発したことか、新しい動きを教わるたびに無意識のうちに「難しいですねえ」とお約束のように言ってしまうものです。最近では練習者の方に「もう、『難しい』と口に出すのはやめましょう」とお話してます。練習の数や時間をこなせばいいとはならないのが、また悩ましいところです。中国にいる頃の話ですが、ひまなので1日に8時間、しっかりと練習したことがあります。得意げに王映海に告げたところ、叱られてしまいました。無茶をしてはならない、ということでした。それよりも現実生活から離れた状態でやっても、それは実践武術とはすでにいえません。
壁を越えるとか、一皮むけるとか、進歩というのはいきなりできてしまうものです。努力が報われるのは意外とそっけなかったりします。指摘されて初めて気づいたりして、できてしまえば、そんなもんか、といった感じでしょうか。どれだけやれば到達する、という法則性や数値では残念ながらありません。できてしまうという結果論でしか計れません。とにかくできるようになってもらうしかありません。極端に言えば、できるのなら練習なんかする必要さえ、ありません。できればいいのです、できれば……。ただし、簡単にはできませんので練習するしかないのです、できるまで。また、決して自分で自分にお墨付きを与えてはいけません。
第3段階は、他の人に教える段階です。いろいろなシュチュエーションがありますから、単に教授するとはいえません。「教えることは教わること」という言葉があります。つまり、人に教えるという作業は実は、教えている側に大きな収穫をもたらします。言語・非言語のコミュニケーションを用いて、自身の得たものを再構築してアウトプットする段階だからです。これらは心理学的な領域にかかってきます。ただし、前提条件があります。第2段階をどれだけ積んできたか、ということです。自分自身の中での試行錯誤や思索の量がものをいいます。表面に現われる丁寧に、やさしく、きめ細かく、などは全く関係ありません。「教え方がうまい」「分かりやすい指導」は、実はあまり意味がありません。
実際には第1段階からいきなり、ということもありえます。単に情報を伝達する場合もありますので、心意倶楽部では、指導者の目の届く範囲内でおこなわれるように注意しています。いうまでもなく、非常に危険な要素を孕んでいるからです。情報の伝達だけでとどまらない、サービス精神の旺盛な発揮は抑えなければなりません。
上で述べているように、第2段階では試行錯誤を積み重ねる必要があります。しかし、それはあくまでも自身単独でのことです。複数での教え合い・指摘などは絶対にしないほうがいいと思います。研究/検討などと称しても、方向性を修正してくれる指導者がいないところでは害があります。ネットの掲示板などで現れる現象です。
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